人類史とはいかにして肯定し得るのかという壮大な実験ーー 「Fate」との出会い
今週のお題「読んでよかった・書いてよかった2024」
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今年、ずっとためらってきたものの重い腰を上げて触れたコンテンツ群にFateがある(型月全般には触れられておらず、今はFateに留まる。)
Fateシリーズに関しては、FGO以前とFGOで個人的には意義や価値が異なると思っているのだが、いずれの作品についても、総じて触れてよかったと思った。
たかだかゲームと思うことなかれ、である。
あらゆる創作物は、文字であれ、音であれ、絵であれ、今我々が良いと思っているものは、当代においても常に当たり前のものではなく、当時は「そんなくだらない表現」とされた形式が、今となっては本流とされている物が多くある。
人は、否応なく変化を繰り返し、失敗の連続の先に僅かな光を見出し進展してきたのである。
20世紀後半から21世紀初頭の日本において、ゲームとはまさにこの1つであると思う。
前の記事でも書いたが、例えば西洋において伝承や詩に対して、思索としての小説という形式が開発され、そこでしか試み得ない思索・表現を人類が獲得したときや、20世紀初頭に「活動写真=映画」という表現を獲得してきたように、20世紀後半に我々はゲームという表現方法(もっと言えば、表現物の享受形態)を獲得した。
ゲームストーリーの特徴というのは「捧げられる時間の長さ」と、そしてなにより「自分自身が主人公として振る舞う」という”シンクロニシティ”にあると考える。
Fateは2004年に第1作であるFate/stay nightが発売された伝奇ビジュアルノベルであり、過去の人類史に刻まれた英雄を召喚して、万能の願望機である聖杯を奪い合い争うという世界観に基づき、様々なストーリーが展開する作品群である。
詳細はまた別の機会に語りたいところではあるものの、端的に言えば「自分たちの起こしてきた過ちとどのように向き合うべきなのか」、そして我々が「なぜ前を向かなければならないのか」といったような、人間としての生き様、矜持について自覚させられるものであった。
そして、特にFGO後期にて顕著になっていくのだが、この作品に捧げられている精神性とは「人類史は過ちの連続であり、我々はそれを学び、自覚しなければならない」という内観と、同時に「そのすべての過ちを自覚しながら、その積み重ねの果てに、いかにして私達の人類史を肯定できるのか」といった、徹底的な検証の姿勢である。
過去は変えることができない。
しかし人類は生き続けなければならない。
だが人類は罪深い。これは過去に限らず現在進行系で続いている。
そんな人類は、果たしてこのまま生き続けてよいのだろうか。
これは、現代に生きる我々に課せられている永遠の命題だろう。
そして多くの場合この問いに対して「どのように良くするべきか」という手法的アプローチから解を求める。
しかし、Fate(特にFGO)の試みとはそうではなく、「なぜ人類史の存続が、世界という巨大なシステムの抑止力を振り切ってまで存続することが認められてきたのか」という問いかけとして捉えているのである。
言うまでもなく、自然というのは、「安定した状態に戻ろうとする力(これをレジリエンスという)」が非常に強い。
”自然淘汰”といえばわかりやすいだろうか。
この力によって、最も良い形を維持するように何億年ものあいだ、この世界は発展してきた。
過ちだらけに見える人類は、それでもこの2万年以上もの間、この地球のレジリエンスによって、少なくとも抹消されることはなかった。
言い換えれば、なんだかんだ言っても、私たちの人類史は「地球に存続を許容されてきた」のである。
Fateは、この事実をまず大前提としてスタート位置におき、「ならば、どのようであったなら、存続が認められなかっただろうか」と問いかける。
それを考えるために、Fateは、自分たちの人類史の汚点を克服したような、”あり得たかもしれないより良い人類史”を対抗馬として空想し、私達の人類史と対決させるのである。
その”一見してより良さそうな世界”を目前として、Fate世界は、「それでも我々の人類史は、存続するに足るものだろうか」と自省する。
そして、「ありえたかもしれない人類史の否定」を通じて、Fateは、自分たちの人類史の過ちをすべて飲み込んだうえで、「未来の可能性の強さを信じろ」と、訴え続けている。
この検証が正しいかどうかは、ここで語るものではない。あくまでエンターテインメントであるし、当然、我々の人類史の存続を肯定するべき要素を見出すための思索であるから、最初からフェアな検証とは言えないかもしれない
少なくともアカデミックに許容できるアプローチではないだろう。しかし、小説という思索がもとよりアカデミックな論評に耐えるための論文ではないのと同様に、ゲームという思索も客観的な正当性を主張するものではないのである。
だが、私はこのFateの示す道しるべから、長大な人類史の正負の積み重ねの重みと、超大局的な視座に立ったうえでの私達の取るべき行動理念という価値軸を得た。
これは2024年と言わず、この10年においても1,2を争う価値観の変革であった。
(ちなみに争うもう一方は「本好きの下剋上」シリーズによって得た、「祈り」という在り方についてである。)
これを読んでFateに興味を持っていただける方がどれくらいいるかはわからないが、まだ触れていない諸氏においては、コンテンツが多く大変だが、ぜひ触れてみてほしい。
私の考えるFate世界に参入するロードマップについては、次の記事で解説しているので、参考にしていただきたい。
ただ、かえって大変だなぁと思ってしまうかもしれないので、思い思いに触れてみるのでもよいかと思う。